リーダーシップという言葉を耳に、目にしない日は無い。それほどまでに求められているのが、今の時代なのだと思う。その一方で、ではリーダーシップとは何かを定義しろと言われると、案外と難しいのではないだろうか。少なくとも日本語にはリーダーシップに該当する単語が無い。言語は国の価値観でもあるから、そもそも日本人にはリーダーシップという価値観はなかったのかもしれない。斯様に日常的に使用しながらも、その実はっきりしないのがリーダーシップというものなのだと思う。はっきりしないからこそ、『リーダーシップの欠如』とか『リーダー不在』とは言うことが出来ても、その問題の解決策は容易には見当たらないのだろう。何となく、日本サッカーにストライカー不在と長年言われながら、状況が変わらないのと似ている(違うか)。
リーダーシップという言葉をどんな場面でよく使うかということを想像してみると、組織を導く人間に対して、その他の立場の人間が、期待感を込めて発する場面が一般的に多い。誰かに期待する力であり、当事者はそれを備えていることを期待される力。それで居てその力というのは、至極曖昧で、なんだか色々な要素が有機的に一体化した総合力みたいなものとして、日常的には利用されている気がする。曖昧な総合力が故に、利用される際の幅も広い。何でもかんでも『リーダーシップが無いから。』といってリーダーシップのせいにされたりもするのもそのためかもしれない。 では、僕にとってのリーダーシップとは何かといえば、とっても難しいながら整理してみると、 『異なる個が集まる集団を、ある一定の目的のために組織化し、目的達成のため、その集団が持つ力を最大化させるために必要となる個人の力』 注意すべき点は、その集団に於いてリーダーシップが期待される人物は一人ではないという点。集団に所属する全個人がリーダーシップを発揮し、組織は唯一の目的のために組織として最適な行動を起こすことが理想だ。 では、集団を構成する個人が、そもそも似た者同士なら、結構簡単ではないかという議論がまずある。アメリカンフットボールだか何かでの実証研究があり、組織の強さは次の通りの結果を生んだそうだ。 (最弱) 似ない者集団(ばらばらチーム)が自己主張に走り収集着かないチーム (普通に強い) 似た者同士(幼馴染)がチームを組んで阿吽の呼吸チーム (最強) ばらばらチームが何故か有機的に結びついてしまったチーム つまり、異なる才能を寄せ集め、これを有機的な一集団化させることが最強の組織を作るうえでは必要となることが研究成果によって立証されている。但し、確率論を混ぜ合わせれば、そのばらばらチームが成功する確率は、似た者同士チームに対し遥かに低かったことは言うまでも無い。但し、面白いことに、危機対応等、想定外の状況に於ける組織としての強さは、ばらばらチームが圧倒的、似た者チームは脆弱さを顕にした。 従って、最強の組織を作ろうと思えばばらばらな個性を集めなければならない。しかし、ばらばらな個性を組織化することは、似た者同士に対して困難が伴うことは容易に想像が出来る。そこで、リーダーシップの発揮が期待されることになる。 ”ばらばらな個”を単純に”multinationalな個”に置き換えて見る。現代の企業組織は、multinationalな個によって組成されている、乃至、そうあることが国際競争上避けられない。世界のありとあらゆるところにあるばらばらな個を最適化した組織が競争上優位な立場に立つ。但し、ばらばらな個を有機的に結びつけることに成功した場合に於いてのみだ。それが出来ないなら昔ながらの右に倣え型の採用活動をした組織が短期的に好業績をあげるかもしれない。それにしても長期的な持続性と危機対応という観点に於いてばらばらな個を受け入れない組織に持続的な成長を期待することは難しいだろう。 だから、リーダーシップが声高に求められる時代になったのだと思う。 だから、リーダーシップ教育には”多様性”(=Diversity)が不可欠になるのだと思う。 IMDの鍵はリーダーシップ教育だが、それを実現可能にしているのはひとえにDiversityだ。IMDに於けるDiversityは、数字上のまやかしではない。どこの国籍や人種、職業にもmajorityの偏りの無いpureなdiversityだ。日々ぶつかり合う”ばらばらな個”のばらばらの絶対値が大きければ大きいほど、ばらばらの向かう先が違えば違うほど、”ばらばらな個”を有機的な一体として組みなおす力は磨かれる。 自分と異なる個を自分が描く力に変えて行くことは至難(=不可能)であることは少なからず経験してきた30歳のビジネスプロフェッショナルが世界中から集まるわけだ。まさに人生をリーダーとして生きてきた人間ばかりのその中でリーダーの椅子をかけて更にぶつかりあうこともあれば、その集団に於いて必要とされる集団の構成員としてのリーダーシップを学ぶことも在る。90名の世界中から集う将来Leader達がリーダーシップとは何かを、まさにもがき苦しみながら模索する日々、ぶつかり合う場所、それがIMDだ。 IMDのMBAが、他のMBAとプログラムの観点から何が違うかと聞かれれば、泥臭くリーダーシップとは何かを愚直に問い続けることこそが最大のリーダーシップ教育だと信じ、行動に移している点だと断言できる。泥臭い人間系の活動以外のなにものでも無い。 ひょっとすると、極めてirrationalな取り組みかもしれないし、そんなことだけに貴重な時間を費やすことの価値は見出せないという意見は大いに有り得る。だから、そのことに価値があると信じる人のみがIMD MBAを目指せば良い。 果たして、ビジネスの世界は勿論、あらゆる分野に於いてリーダーシップが求められる世の中で、11ヶ月をリーダーシップの模索だけに没頭することの自由を得ることは、市場ニーズを考えれば非常にリターンを見込みやすい自己投資ではないか、とも思える。
by tomoimd
| 2008-03-13 05:40
| IMD・CLASS
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